浸剤からカラダに良い嗜好品へ
私がこの協会をつくろうと思ったきっかけは、あるときふと思ったことがきっかけでした。
ハーブティーは、なぜコーヒーや紅茶、あるいは日本茶、中国茶のような他の茶葉のように喫茶店やレストランでメニューに載ってこないんだろう?どれだけ、多くのハーブティーファンが、その良さを伝えても、普段、出向く喫茶店やレストランにおいてなければ、普及したことにはならないよな。。という気づきでした。
それから、他の茶葉や世の中で市民権を得ている飲み物を調べハーブティーとの違いを理解しようと考えました。結果、得た結論は、それぞれの飲み物の生い立ちの違いでした。
ヨーロッパでのハーブティーの発祥は、植物の有効成分を取り出すための浸剤(細かく切った生薬に熱湯を注ぎ、成分をにじみ出させて服用する薬剤)でした。かつてヒポクラテスが植物から成分を取り出そうとしたことから始まる浸剤の歴史がヨーロッパに渡り?、近代になって医薬品への発明につながっていきます。
彼らにとっては、ハーブティーを飲むこと、イコール成分を取り入れることが大事な目的だったのです。
中国では神農がヒポクラテス同様、植物成分を治療に役立てるため、世界を変えた植物とも言われたチャノキこと、カメリアシネンシスという植物を食べることを推奨しました。
しかし東洋人は茶の木の葉っぱを食べることは「おいしくない」と考えたのです。西洋人は原因をつきつめ、東洋人は「いかにおいしくするか」に英知を注ぎました。
当時チャノキは、お茶として、多民族を統一する漢民族にとっては、「お茶を通じて多民族の風習を尊重する」という政治的にも重要な意味がありました。また日本の千利休はお茶の道を解き、政治の道具としてその文化的価値を高めました。東洋人のこの発想は、チャノキという1種類の植物から、1000種以上の飲み物を生んでいくことになります。
そこには、「工夫」という発想があるのです。
その後もチャノキはおいしくするために、様々な加工技術が進化しました。中国茶も緑茶も紅茶も加工技術が進化しました。そのためテイスティング手法も開発され、決められたグレードに達しているかどうかを品評するための手法が確立されていきます。結果、研ぎ澄まされた美味しい飲み物が生まれて行ったのです。
西洋では、薬効の成分に注目し、いかに効率良く抽出し、大量生産するかという技術を磨くことで医学の一端として発展していったハーブティー。一方、東洋では、「薬食同源」の考え方の中、薬効をいかに食の中で生かすかを追求する中から、茶の文化・作法にまで発展しました。
このような東西の考え方の違い、視点の違いが、ハーブティーと茶葉のちがいではないだろうか?と私たちは考えています。
世界各国でさまざまな発展を遂げて来たハーブティーや他の茶葉の歴史を知り、文化の違いを理解することは、ハーブティーを「茶の文化」の一つとして、ますます発展させていくために欠くことができません。
一方、植物成分を効率良く摂取するために考えだされたハーブティーは、おいしくするための加工を知りません。ただ乾燥し、カットしただけの乾燥ハーブです。だから、味や香りも、植物成分のそのままが出てきます。苦いものは苦く、渋いものは渋く。。という具合に。
ハーブティーは体に良い飲み物でお洒落なものとして広がる中で、
「健康には役立つけど、もっと美味しく飲める方法はないの?」
「上手にブレンドするにはどうするの?」
よく聞くフレーズです。
ハーブティーは、日本において、いまだ確立されたブレンドメソッドもなく、消費者が購入したシングルハーブをご自身の判断でブレンドしてみるという飲み物です。働きだけを期待する薬草的飲み方だけだと、美味しさを創り出すことが出来ません。
ところで日本人は、元来、工夫に長けた民族です。
こと味覚に関しては「うまみ umami」を作り出した民族です。日本が作り出した旨味成分は、今ではフランス料理のフォンドボーに昆布だしを使うまでに広く世界に浸透しました。これも世界で最も優れた味覚センサーをもつ日本人がなしえた偉業です。
日本人の味覚センサーをうまく使えば、単純な植物成分を抽出しただけのハーブティーにも、苦味をおいしくさせる、渋みやエグミすら旨味に変える、秘技が生まれていくるはずです。
合わせて、味や香りといった嗜好性を高めていくための基本知識や手法を学ぶことも重要と考えています。さらにハーブティーを使ったおもてなしの心(ホスピタリティー)を知ることで、ハーブティーの持つ体への効果だけではない、セラピーの概念も理解していくことも重要だと考えるのです。
そういった想いを共有した仲間と共に、この協会をつくりました。